「伝統空手 「形(型)」の技・テクニックのコツ・ポイント 5」のまとめです。
身体の、身法の虚実です。これを秘匿している流会門派が多々あります。
聖中心道肥田式強健術なる書籍に本質的な事がさらりと書かれてました。最所は上体にも下体(≒下腿)にも力を込める、ないし込もってしまう。上実下実とはこの先のレベルです。「実」とは完全に力を入れ切る、もしくは、そのような常態に出来ることを指します。これは言葉としては簡単ですが、凡人には物凄い稽古量の結果やっと気付くものです。そしてまた、近代的格闘技が目標とするものです。しかし日本を含む東洋ではこの三つ先、「上虚下虚」を一つのめざす技術とみなし稽古方法や稽古体系や錬功体系があります。更にその上を行く境地もあります。技術論を超えたものです。一つの例ですが「ゆっくり動く」ことは「実」の先に現象化できるものです。「虚」とは力を抜き切ること、もしくは、そのような常態です。ここから発露するのは現代格闘技には見られない技術です。その一つが「浮力」です。打撃に特化して申し上げれば「神経的浸透制圧」させる技法です。武の世界も(初期は)アスリートと同じような速度も力も必用です。その速度は「加速度」が重要であり、その力は「生理的に及ぼす特異な力」だと次に気付かれるはずです、そして更にその上に・・・。天才以外、凡その場合は稽古する順番、序列は必然性あるものです。現状のご自分の力量を省みて、今必要な稽古を感覚感知して稽古されんことを願っております。
打撃は、スピードとパワーとが命です。それは間違いない。
物理的には、運動量は「質量×速さの自乗」です。当て方とかは一切抜きにして。速さが大きければ大きいほど、効果が高まるのは間違いない。自乗が付いてますからね。
具体的に考えてみましょうか。
体重60キロの人間が、時速30キロで対象物を全力で突くとしましょう。
運動量の単位は、ニュートンでしたっけ? 私、完全文系だったので。
ま、ともかく。全体重を拳に乗せれば、60×30の自乗となる訳です(めんどくさいので、計算は自分でしてね)。しかし、「拳に全体重を乗せる」のは、不可能なほど難しい事です。
たいがいの人は、足から腰、肩と波を伝えるようにうねらせて、前腕だけを加速します。解剖したことないので知りませんが、どんなに筋トレで腕を太くしても、せいぜいが2、3キロでしょう。仮に3キロとすると、「重さ」の項目で、すでに20分の1になってしまっている訳です。全身を同時に動かせば、全体重を乗せることができます。しかしながら、60キロの物を一気に加速するためには、3キロをそうするよりも非常に大きな力が必要になります。反比例でしたっけ、もう、忘れてしまいましたね。
分かりやすく言えば、「全身で突くためには強大な筋肉が要る」ことになります。それも、ボディビルダーのようなものでは無く、スプリンターのような足腰が。
この他に、筋肉の特性という物を考慮しなければなりません。
筋肉という代物は、速く動かせば動かすほど、動かせる重さが小さくなってしまうのです。
逆に言えば、重い物は、ゆっくりとしか動かせない。
さらに言うなら、じゃあ、身体を軽く使えばいいだけのことです。
能動筋を用いて、軽く・早く・速く突けばいいだけのこと。
速く(あるいは軽く)突いて、重く寄りかかればいいのです。人体の防御をぶち抜いて内臓に衝撃を叩き込むためには、絶対に速度が必要です。
しかしいくらマッハ級の速度で当てても、表面で停止してしまって1ミリも食い込まないのでは、効かせようがない。
突き込んで、それを支える時に、「受動筋力」という強大な筋力が発揮されます。本来は、「巻藁突き」とは、まさしくそれを鍛えるための物だと思われます。
あのしなる巻藁を考案した先達は、こうしたことを全て感覚的に分かっていたのでしょうね。恐るべき事です。慣れてくると、ほとんど腕を伸ばした距離から触るように当てて、それからぶち込むことができるようになります。なーんにも不思議なことではありませんよ、こんなことは。
実際の攻防を考えてみましょうか。
空手の事は知りません。北派中国武術、特に形意や八卦の真似をして遊んでいるだけですからね。
遠間で離れて、飛び込んで刺し合うような展開は、武術の基本だと思われます。
ある程度できるようになると、それを誤魔化す「裏の力」が使えるようになります。屈筋群のことなんですが、これを説明するのは面倒なので今は略します。まあともかく、水の上を滑るように、するすると小刻みに動くことができるようになります。これは、ある程度のことができれば、多分誰でも可能になります。膝抜きなんかも、その入り口の一つだと思います。
居着かず、起こりを消して、方向転換も自在に、フラフラと潜り込むわけです。
油を塗ったボールみたいに、敵の手足にまとわりつき、滑るようにして、あるいは乗るように、また潜るようにするわけです。剣の人にはお分かりでしょうが、こういう状態になると、経験の無い人には何もできなくなる。対処するには、いわゆる「推手」のような技術を持つしかなくなる。
それで、触れてから「ドン」と着地して支えてやればいい。
触れる前に軸足だけ着地して、というのが私の好きなやり方です。
詳細は秘密。
当ててからも、衝撃をねじ込むために色々と工夫が要るのですよ。ベテランになれば、当ててからのことはどうとでもなります。私は資質に恵まれないから、大した威力はありませんがね。
問題は、当てるまでになってくるのです。
当てられず・制されず、自分が一方的に当て・制する。そのためには罠も必要ですし、それ以前に自分の身体を精緻にコントロールする必要があります。
非常にめんどくさい、しかしできるとムチャクチャ気持ちいい作業です。
上手くできると、それだけで快感があるんですよ。負担は結構ありますけどね。私は空手の事は知りませんが、今、ネット上で公開されている動画を拝見しても、非常に高度な身体操作と「罠」≓招法とが窺えます。
それをきちんと表現し、かつ「極め」の殺伐さを隠すだけの節度があれば、演示は自ずと淡泊になるでしょう。ゆっくり動くには、この他に、拮抗する力を制御して、いつでも「発勁」できる状態を造る功法もあるはずです。太極拳の中にはこうした流派もあるようです。
習ったこと無いんで、憶測ですが。
形意拳の場合は、急発進・急停止を繰り返すことになります。おそらく太極では、これを連続的にやっているのでしょうね。私見ですが、空手の三戦にも同じような力の養成法があり、何をやっても上に行けば、そう変わらないのだと考えています。
スピーディーと感じるのはどんな時でしょうか?それは速度の変化を感じるとき、静から動へのメリハリを感じる時です。プロレス、芝居の殺陣など他人に見せるときにはこういった工夫が凝らされています。
どんなに速くてもわざわざ素人目に止まるようになっているわけです。
私が以前ゆったりした型を覚えようとした時、中々動作が覚えられず苦労しました。なぜなら挙動の始点と終点が印象に残らずいつの間にか手本が進んでしまっているせいでした。いつの間にか動作が始まり終わるなんて相対したら怖いことだと思いませんか?
こういった始点と終点がわからない動きというのはただゆったり動くのではなく、軸をぶらさない重心を上下させない運足は最短距離などを守らなくてはなりません。どれも奥義でも秘伝でもない、どこの流派でも初心者から教わる基本事項です。ところがその基本事項の出来不出来には初心者から達人の間に大きな開きがあるわけです。
この基本事項は技の起こりを隠すだけでなく威力の面でも大きな違いを生み出します。軸のブレた速いだけの動作は言ってみれば軽い木の杭を高速で投げつけるようなもので、軸のブレない動作は地面に深く打ち込んだ杭のようなものです。いくら高速で投げつけても相手が固くて重ければ杭は弾かれます。ところが地面に深く打ち込んであれば大型トラックでも衝突すれば大事故です。型や基本では踵を浮かさず組手では浮かす理由にもなっています。
ポイントを取るために逃げる者を追いかけるにはスピードが必要ですが、向かってくる敵を罠にはめるのはスピードよりも読みが重要になります。そしてこの読みは動物的反射神経ではなく軸の安定によって得られるものだったりします。自分の軸がぶれてなければ相手の動き出す際の軸のブレが手に取るようにわかります。